【 Editor’s Insight 】Google TPU は NVIDIA の牙城を崩すのか?ーAI 半導体競争の現在地と今後の展望

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最近リリースされた Google の最新 AI モデル「 Gemini 3 」が会話能力や精度において突出した性能を示して話題を呼んでいます。そして、この Gemini 3 は NVIDIA の GPU ではなく、 Google 独自開発の AI 専用チップ「 TPU 」でトレーニング・推論されている、という点も(特に市場関係者の)注目を大いに集めています。

この事実を受けて、市場では「ついに NVIDIA 一強の時代が終わり、 Google の TPU に取って代わられるのではないか」という見方が浮上しています。しかし、この見方は正しいのでしょうか。本稿では、ハードウェア、ソフトウェア、製造、そして市場動向の 4 つの視点から、この競争の実態を検証していきます。


1. ハードウェア:Google が仕掛ける「巨大化」戦略

チップの繋げ方が根本的に違う

AI の学習には膨大な計算能力が必要です。そのため、1 つのチップでは足りず、何千、何万というチップを連携させて使います。ここで NVIDIA と Google では、チップの繋げ方に大きな違いがあります。

NVIDIA は「NVLink」という技術で複数の GPU を接続しますが、直接つながる範囲は最新モデルでも 72 基程度です。それ以上の規模になると、外部のネットワーク機器を介して「横に繋げていく」設計になります。イメージとしては、小さな部屋をたくさん作り、廊下でつないでいくようなものです。

一方、Google は「ポッド」と呼ばれる 1 つの塊そのものを巨大化させる戦略を取っています。TPU v7 では、1 つのポッドに 9,216 個のチップを収容し、あたかも「1 枚の超巨大なチップ」として扱えるようにしました。巨大な体育館のような空間を 1 つ作り、その中で全員が直接やり取りできる、というイメージです。

この巨大化を可能にしているのが、Google 独自開発の「光回路スイッチ」です。通常、チップ間の通信は電気信号を使いますが、Google は光をそのまま使って信号を伝えます。電気に変換する手間がないため、消費電力が少なく、数千台規模でも高速な通信が可能になります。

コスト面での優位性

この技術的な工夫は、コスト面でも成果を生んでいます。

TPU v7 の 1 チップあたりの利用コストは 1 時間約 4.38 ドル(約 690 円)と推定されており、NVIDIA の約 6.30 ドル(約 990 円)に対して約 30%安くなっています。

ただし、AI チップの運用で本当に重要なのは、チップ単体の価格ではありません。電気代、冷却設備、メンテナンスなど、運用にかかるすべてのコストを合計した「TCO(総所有コスト)」で見る必要があります。AI の大規模学習では数千〜数万個のチップを数週間から数ヶ月にわたって稼働させるため、この TCO が最終的なコスト競争力を決めます。TCO で比較すると、TPU v7 は NVIDIA より 30〜44%低いという試算もあり、長期運用になるほど差が開きます。

この差を生んでいる大きな要因が電力効率です。TPU v7 の消費電力は約 250W 前後と推定されており、700W〜1,200W 以上を消費する NVIDIA と比べて大幅に低く抑えられています。大規模データセンターでは電気代が年間数十億円規模になることも珍しくないため、この差は経営に直結します。

さらに、Google には構造的な優位性があります。AWS や Microsoft が AI サービスを提供する場合、NVIDIA からチップを購入する必要があり、そこには NVIDIA の利益が上乗せされます。一方、Google は自社でチップを設計しているため、このいわゆる「NVIDIA 税」を払う必要がありません。


2. ソフトウェア:NVIDIA の「堀」と Google の「抜け道」

なぜ皆が NVIDIA を使うのか

ここまで見ると、TPU が圧勝のように思えます。しかし、AI チップの競争はハードウェアだけでは決まりません。ソフトウェアの問題があります。

AI を開発するエンジニアは、日々プログラムを書いて AI モデルを作っています。その際に最も使われているのが「PyTorch」という開発ツールです。2016 年に Facebook(現 Meta)が公開し、現在では AI 開発の事実上の標準となっています。

ただし、PyTorch で書いたプログラムをそのまま AI チップで動かすことはできません。間に「翻訳ソフト」のような役割を果たすソフトウェアが必要です。NVIDIA の場合、それが「CUDA」です。

つまり、AI 開発の現場では「PyTorch でプログラムを書く → CUDA が翻訳する → NVIDIA GPU で計算する」という流れが確立されています。この構造が過去 10 年以上、業界標準となってきました。

ここで重要なのは、開発者コミュニティに CUDA に関する膨大な知見が蓄積されている点です。技術者向けの Q&A サイトやオープンソースのコード共有サイトには、CUDA 前提の情報があふれています。トラブルが起きても解決策が見つかりやすく、新人エンジニアも先輩の知恵を借りられます。

開発者が NVIDIA を選ぶ理由は、単に「動くから」だけではありません。「何か問題が起きても解決できるから」なのです。他のチップに乗り換えようとすれば、この蓄積をゼロから作り直す必要があり、そのコストは膨大です。

これが NVIDIA の「堀(Moat)」です。チップの性能だけでなく、ソフトウェアと開発者コミュニティを含めたエコシステム全体が、競合の参入を阻んできました。

Google の反撃:「接着剤」を作り替える

では、Google はこの牙城にどう挑んでいるのでしょうか。

注目すべきは、Google がチップの性能で正面から勝負しているわけではない点です。むしろ、ソフトウェア面から NVIDIA のエコシステムを切り崩そうとしています。

Google が開発しているのが「TorchTPU」というソフトウェアです。CUDA が「PyTorch と NVIDIA GPU をつなぐ接着剤」だとすれば、TorchTPU は「PyTorch と Google TPU をつなぐ接着剤」に相当します。

この戦略が賢いのは、開発者が使い慣れた PyTorch には手を加えない点です。変わるのは裏側の「接着剤」だけで、計算を実行するチップが NVIDIA から Google TPU に置き換わります。たとえて言えば、スマートフォンのアプリはそのままで、通信キャリアだけを乗り換えるようなものです。

さらに注目すべきは、TorchTPU が Meta と共同で開発されている点です。Meta は PyTorch の開発元であり管理者です。つまり、AI 開発ツールの「本家」と組んで「TPU を正規の選択肢にする」という、業界全体を巻き込んだ取り組みになっています。

とはいえ、NVIDIA の地位がすぐに揺らぐわけではありません。先ほども書きましたが、「動く」ことと「最高の性能を引き出す」ことは別問題です。PyTorch でプログラムを書くとはいえ、最新の論文の実装コードのほとんどがCUDA前提です。例えば、新しい手法(FlashAttentionなど)が登場した際、最初に実装され、最も安定して動くのは常にCUDA環境となっています。また、最先端の研究者が求める「極限のパフォーマンス」を出すには、ハードウェア固有の深い最適化が必要であり、そうした分野で NVIDIA は 15 年以上先行した蓄積があります。「動く」と「快適に開発できる」の間には、まだまだ埋めるべき溝があるのです。


3. 製造:TSMC という「共通の工場」を巡る争い

両社とも同じ工場に依存している

意外に見落とされがちなのが、NVIDIA も Google も、チップの製造そのものは台湾の TSMC に委託しているという事実です。

両社ともいわゆる「ファブレス(工場を持たない)」企業であり、チップの設計は自社で行いますが、実際の製造は TSMC に任せています。半導体の製造には 1 つの工場を建設するだけで数兆円の投資が必要なため、設計と製造を分業するのが現代の半導体業界の標準的なビジネスモデルです。

製造ラインの「予約競争」

ここで新たな競争が生まれています。TSMC の製造能力には限りがあるため、「誰がどれだけの製造ラインを確保できるか」が勝負になっているのです。

2025 年時点で、TSMC の高度なパッケージング工程の約 60〜70%を NVIDIA が確保していると報じられています。NVIDIA は莫大な資金を武器に「数年分を先に予約する」ことで、競合他社が製造ラインを確保しにくい状況を作り出しています。

しかし、2026 年に向けてこの比率は変化するとの予測もあります。Google、Meta、AWS といった巨大テック企業が自社製チップの比率を拡大させており、TSMC も特定の一社に依存しすぎるリスクを避けるため、意図的に Google らへの割り当てを増やしているのです。このため、2026年に向けてこの比率は「40 : 60(NVIDIA 対 非NVIDIA)」へと逆転するとの予測も出ています。

こうした中、Google にとって有利に働いているのが、長年の TPU の設計パートナーである Broadcom の存在です。Broadcom は Apple に次ぐ TSMC の超大口顧客であり、長年の信頼関係があります。そのため、Google 単体で交渉するよりも、Broadcom の膨大な発注枠の一部として TPU の製造ラインを確保する方が、TSMC から「 VIP待遇 」を受けやすくなります。TPU v7(Ironwood)がいち早く最先端の3nm (N3P) プロセスを採用できたのも、この連合の力が大きいとされています。


4. 市場動向:Anthropic や Meta の動きが示すもの

「脱 NVIDIA」の象徴的な出来事

こうした技術的・構造的な変化は、すでに市場に影響を与え始めています。

特に注目すべきは、AI 開発企業の Anthropic が最大 100 万 TPU 規模の利用をコミットしたとされ、 Meta も 100 億ドル(約 1.6 兆円)規模の複数年契約を結び、 Llama などの自社モデルの学習・推論に TPU を本格採用し始めたと報じられています。Anthropic や Meta は AI 開発の最前線にいる企業であり、その両社が TPU へシフトすることは「TPU でも最先端の AI が作れる」という証明になります。

競争の軸が変わる

長期的には、クラウド市場の競争軸そのものが変わっていくでしょう。これまでは「(貴重な)NVIDIA のチップの計算リソースをどれだけ使えるか」が重要でしたが、今後は「100 万トークン(AI が処理するテキストの単位)を生成するのにいくらかかるか」という、よりサービスに近い指標での競争になっていきます。

Google は TorchTPU によって「CUDA という聖域」を攻略し、ハードウェアの優位性を直接、顧客のコストメリットに変換できる体制を整えつつあります。AI を活用する企業にとっては、開発・運用コストが大幅に下がる可能性を秘めた転換点です。


結論:「独占は終わるが、牙城は崩れない」

ここまでの分析を踏まえると、「NVIDIA の牙城は崩れないが、独占は終わる」というのが 2026 年以降の現実的なシナリオです。

NVIDIA は、圧倒的なソフトウェア資産と開発者コミュニティを武器に、今後も市場の過半を維持するでしょう。新しい AI 技術が登場した際、最初に実装され、最も安定して動くのは当面 CUDA 環境であり続けます。研究開発や新規モデルの開発の現場では、しばらくは NVIDIA が「第一選択」であり続けるでしょう。

一方、Google は TorchTPU という「抜け道」を完成させつつあり、Anthropic や Meta のような先端・巨大企業を TPU 陣営に引き込み始めています。AI モデルの構造が安定し、大量のデータを処理する「流通フェーズ」に入った企業にとっては、TPU のコスト優位性は無視できない選択肢になります。

つまり、今後は「試作や研究は NVIDIA、サービスが軌道に乗ったら TPU へ移行する」というハイブリッドな戦略が標準になっていく可能性があります。

投資家の視点からは、今後 NVIDIA の株価が「AI ブーム」の象徴として過大評価されすぎていないかを常に冷静に見極める必要性と、Google が AI インフラ企業として再評価されていく可能性の両方を念頭に置く必要があります。今後は単純な「勝者総取り」とはならず、用途と規模に応じた棲み分けが進む中で、両社がどのようにシェアを分け合うかが、ここから数年の注目点となるでしょう。